ホグワーツに行きたい!

いつかホグワーツから招待状が来る、そんな日を夢見て書いてる暇つぶし。

音楽

どうして戦争は、差別は、いじめは、なくならないのだろう。カラオケボックスで熱唱しながら僕はふとこんなことを思った。

いや急にどうしたお前、ってなりそうだけど、何も僕は「すべての戦争はロスチャイルド家の計画だ」みたいな陰謀論を語りたいわけでもなく、心理学的な観点から差別が起こる背景を説明したいわけでもなく、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」みたいなBABYMETAL的いじめ反対運動をしたいわけでもない。僕はただ、音楽っていいなぁって話がしたい。

おかげさまでそれなりに楽しい人生を送らせてもらってるわけだけど、生きててどの瞬間に一番幸せを感じるかというと僕の場合は好きなアーティストのライブに行った時だ。ライブが生きがいになっていると言っても全然過言ではない。「二週間後にライブあるし、それまではがんばろ」みたいな感じで自分を鼓舞して生きている日常なのだ。友達とサイゼリヤで談笑しているときにも、Youtuberを見て爆笑しているときにも得られないような熱狂がそこにはある。冗談抜きで「俺こんなに幸せでええんやろか…」ってライブ中は思う。「音楽が好き」という感情を共有した人たちが一箇所に集まり、アーティストの叫ぶ声に合わせて同じく声をあげ、踊り狂う。本当にすごい空間だなぁと思う。

そういう熱狂的な興奮だけでなく、音楽は同時に勇気を与えてくれる。信じられないくらいこの世の中には良い曲が多い。僕はあんまり歌詞を聴くタイプではないんだけど、それでもやっぱり歌詞に感動することは多い。あまりにも多くの音楽に励まされ、勇気づけられ、笑わされてきた。なんか嫌なことがあったりモヤモヤする1日の終わりにも、帰りの夜道を音楽聴きながら歩いてると自然とテンションが上がり一人でニコニコしてる気持ち悪い男になってしまうような、そんな摩訶不思議な力を音楽は持っている。

フェスに行ってサンボマスターの「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」でその場にいた全員で「愛と平和!」と何回も繰り返し叫びながら、カラオケでSEKAI NO OWARIの「インスタントラジオ」を歌いながら、嫌なことがあった次の日の朝に独りBase Ball Bearの「changes」を聴きながら、世の中にはこんなに素晴らしい音楽が無限にあって、性別や国籍、宗教に関係なく無限の人々が音楽を愛しているのに、どうしてしょうもない争いは無くならないんだろうと思ってしまうのだ。何も音楽に限った話ではない。話を大げさにしてる自覚はあるけど、どんなクソ野郎も音楽を聴いたり、映画を見たり、本を読んだりして涙を流したり感動したりしたことはあるはずなのに。

日々を生きていると、些細なことで争ったりしている人が多い。ファミレスでなかなか料理が来ないのことにやたらとイライラしてるおじさんとか、前を並んで歩いてる小学生にブチ切れ顔で自転車のベルをけたたましく鳴らしまくっているおばさんとか。僕自身、朝の満員電車とかで足を踏まれたり日大アメフト部ばりに理不尽なタックルをお見舞いされたりしてたまにイラっとしてしまっている自分がいる。そんなときに、でもこの人たちも自分と同じように音楽や本や、芸術を愛して、大変な日々を生きているんだなと思うと少し許せそうではないだろうか。

「いやそれ関係なくね?」と思うかもしれない。ちなみに僕は思った。「俺の言ってること1ミリも論理通ってねぇ…」と思いながらこの文章を書いている。でもやっぱ、「音楽とか、映画とか、スポーツみたいなのにみんなで熱狂できる人間っていいなぁ」っていう安っぽいヒューマニズムに時々浸ってしまうのである。この前、家庭教師先の本が大好きな小学4年生が、「この世に本がある限り、僕の楽しみは無くならない。世界にはいっぱい本があるし、その本を僕が全部読み切ることは多分ないから、僕の人生はずっと楽しい」みたいなことを言ってて普通に感動してしまったんだけど、本当にすごい良い言葉だなぁと思う。些細なことにイライラしてる場合じゃねぇ。戦争してる場合じゃねぇ。差別やいじめに時間使ってる場合じゃねぇ。そんな時間あったらこの世界に無限に存在する芸術たちを楽しめやコラァと、物事はそこまで単純ではないのは百も承知の上で思う。

こんなポエティックな文章を書いてしまったのはこの前「オーデュボンの祈り」を読んだからだろうか。それとも僕は、案外ロマンチストなんだろうか。そんなことより誰か早く一緒にカラオケに行こう。

 

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